新聞を読みなさい。毎日、毎日
【僕はいわゆる資格マニアのようです。簿記に始まって、FP、宅建、行政書士など、いろんなのを取得しました。でも、どれも役に立ちません。仕事は営業なので、使えないはずはないのですが。なぜでしょう。ひとつに絞るべきですか】
知る人「話のオチが見えそうな前振りだが、まあいいだろう。で、何だ、いくつぐらいの資格を取得したのかね」
問う人「細かいのも入れれば、30以上です。多過ぎますか」
知る人「多過ぎる、などというものではあるまい。時間と金の浪費、という言葉がピッタリあてはまり過ぎて怖いくらいだ」
問う人「でも、なかにはまともな資格もあるんですよ。浪費とは言い過ぎではありませんか」
知る人「資格の価値とは相対的なものだ。持っていればいい、というものではない。活用できれば、鬼に金棒。できなければ、無用の長物。君は明らかに後者だな。自分でもそう思わんかね」
問う人「ううん、そうですねえ。思いたくないけど、現状を見れば、そうかなと」
知る人「当サイト運営者U氏は老人介護士だが、介護の世界でも、やはり怪しげな資格商法がはびこっているようだ。レクリエーション介護士だの、傾聴の専門資格だのと、自己満足にしかならぬ浪費扇動資格がそこらじゅうにある。起業家を援助するサービスなどにも、資格スクールの運営ノウハウを伝授してくれる親切なものもあるからな。君はそういった連中から見れば、上得意様だ」
問う人「でも、営業マンですからね、役に立つのもありそうなものですが」
知る人「他人事みたいに言ってはいかんな。それらを生かせないのは、君自身の意志と力量の問題だろう。例えば簿記で言えばだな、かつて日本マクドナルドを創業した藤田田氏は、社員に簿記3級を必ず取得させていたそうだ。商人の仕事は、金でも商品でも備品でも、とにかく勘定することから始まるのだからな。藤田氏の判断は全く正しいのだ。君も営業マンならば、簿記はじゅぶん生かせるはずだ。使えないとしたら、簿記が悪いのではなくて君が悪いのだ。わかるかな」
問う人「はあ、わかります。わかりますけど、何と言うか、その」
知る人「どんな仕事にも太い幹があり、そこから派生した枝葉がある。今の仕事を続けたいのなら、自分を支える根幹は何、次に必要なのは何と何、という具合に、必要なものの優先順位を割り出してみることだな。そうすれば、30もある資格の中から、使えるもの、使えぬものの仕分けができるだろう」
問う人「そうですか・・・ううん、何が必要なんだろうか・・・」
知る人「その迷い方は、社会人の基礎ができておらぬ証左だな。世の中を見る ”目” が育っておらぬようだ。君、新聞は読んでいるかね」
問う人「はあ、会社で日経をとってるので、社員食堂でお昼に読んでますが」
知る人「なるほど。スマホではニュースを見ているのだろうね」
問う人「ええ、得意先から別の得意先への移動の時間なんかに読んでますね」
知る人「インターネット全盛のご時勢になって以来、紙媒体の不要論が幅を利かせている。実際、衰退していった紙メディアもある。だが、新聞だけは絶対に不滅だ。発行部数は減るであろうが、なくなることはないのだよ、おそらく永久にね。なぜだかわかるかね」
問う人「ううん、そこまで必須のものとは思えませんが」
知る人「新聞記事は、どれも執筆者がはっきりしている。WEB上のような匿名記事はほとんどない。社説は会社を背負って書かれるものだから、責任は重大だ。つまり、新聞の紙面とは、隅から隅まで責任で充満しているのだな。いったん発行してしまえば、二度と修正がきかぬ。読者に証拠を握られたことになろう。新聞に書くというのは、それぐらい覚悟のいることなのだ。いつでも簡単に修正・削除が可能なWEBとは本質的に違う。看板を掲げて書かれた記事は、読者も自分という看板を賭けて読まねばならぬ。欠点はWEBより情報が遅いことだが、それ以外は紙媒体がすべて優っているのだ。新聞とは、逃げ道のない決意表明の場だ。君には社会人としての覚悟が足らぬ。今持っている資格はひとまず脇へ置いておきなさい。まずは新聞を毎日読むのだ。本紙だけではない、広告も見よ。どの店で何が安いかなど、生活者の視点をそれで養うのだ。かわら版の時代から、新聞は私たち庶民にとって、もっとも手堅い勉強の場である。WEBばかり見て、情報の速さに惑わされてはならぬ。今の君には、じっくり腰を据えて自分を見つめ直す時間が必要だ。ひとまず万巻の書を忘れ、毎朝郵便受けに入れてくれる ”紙の学校” の門を叩きなさい。毎日読み続けるのだ。必ず何かを得られよう。そうなれば、30の資格が生かせるようになるだろう」
(了)
1919字。