マスクを外そう、みなさん
【炎天下でも、マスクで顔中を覆って歩く人がたくさんいますね。他人との接触の可能性のほとんどない、安全な環境でもそうです。あれはいったい何でしょう。自己満足か、闘いの意思の現れか、それとも恐怖心か。何だと思いますか】
知る人「まあ、人それぞれとも言えようがね。状況によっては当然、ということもある。まずそのあたりを整理しておこうか」
問う人「つまり、もっともな理由の場合ですか」
知る人「そう。乗り物の中では君もマスクをするだろう」
問う人「します。あと、他人との接触が確実な場合、それと、お店みたいな、狭くて空気が悪そうな場所に入る時」
知る人「うん、それは私も同じだ。状況によっては当然、というのはだな、例えば電車から降りて駅の外へ出て、お得意先などの目的地へ向かう場合を考えてみよう。目的地が駅からそう遠くなければ、マスクを着用したまま行くのは自然だろう。どうせ、先方に着いたらマスクをつけねばならぬのだ、それだったら、電車➡徒歩➡得意先、という道中で、ずっとつけっぱなしにすると思うのだが。君、どう思うね」
問う人「そうですね、よほど暑い日でなければ、そのままにしてしまうでしょうね。つけたりはずしたりは面倒で」
知る人「そうだろう。駅やバス停など、乗り物の乗降客の多い場所近辺では、こういう人が目立つ。通勤時など、往来を行く人のほとんどが顔を半分隠している」
問う人「そういうのはいいんですよ。僕が言いたいのは、目的地がどこであろうが、道中どこを通ろうが、とにかく一歩外に出たら常にマスク着用。これが義務だとでも言いたいような人たちのことです」
知る人「今言ったように、人それぞれ状況が違う。ずっと後をつけて追うわけにもいかぬから、必要に迫られているのか否かわからぬ。マスク着用者のことを、義務感や強迫観念で外せぬ人たちだ、などと断じるのには、少々無理があろうね」
問う人「週末なんて、家族全員マスク着用で散歩してるのを見かけたりしますよ。見ませんか」
知る人「よくあるのは、小さな子を連れた若い親の姿だ。多くの場合、親だけがマスクをしていて、子は顔に何もつけていない。あれは妙だな。感染を心から恐れているのであれば、可愛い我が子にマスクさせるはずだからね。まあ、こういうのも人によりけりだから断言は控えたいが、たぶん、小さな子は顔に何かつけるのを嫌がるから、とりあえず親だけは世間に合わせて、周囲の批判的な目をかわそうとでも思っているのかもな」
問う人「先週の日曜日、ウチの近所の大通りをジョギングしている夫婦を見かけたのですが、そろってマスクで顔を覆っているんですね。スポーツするのにもマスクって、おかしくありませんか。ヘンに心拍数が上がるし、酸素不足にもなるでしょう」
知る人「それは私も見かけたな。かつてマラソンの高橋尚子選手が、酸素の薄い高地で走って持久力を鍛えたそうだが、まあ、そういった特殊事情でもなければ、走る際はマスクを外すだろうな。ああいうのを見ると、ああ、私たち日本人の ”マジメ” が悪い方に出たなあ、と思ってしまうね」
問う人「きのう、実家の母と電話で話したんですけど、外をのんびり散歩したとき、マスクしなかったそうなんです。そしたら、前から歩いてきた男性に思い切り睨まれて怖い思いをした、と言ってましたよ」
知る人「それは全国各地で起きている現象だな。危機を乗り越えるためにマスクは義務、しない奴は非国民。文字通りの息苦しい国になりつつあるのが今の我が国の状況だ」
問う人「アメリカでは、マスクしない自由、というのを主張する人たちがいるそうですけど」
知る人「危険度の高そうな場所では着用した方がいい。言えるのはそれだけだな。自由を主張するなどと大袈裟な問題にはしたくないものだ。ただ、他人に強要するものではないし、意固地になって素顔を通すのも漫画だな。コロナウィルスは、町のどこにでも潜んでいるわけではない。そのような場所に行った人、そのような行動をとった人が感染している。それぞれの日常のワクからはみ出ることがなければ、せいぜい風邪ひくぐらいで済むはずなのだ。息苦しい暮らしを常態化させてはならぬ。こういうとき、見えぬ敵を必要以上に恐れるように世の中を煽るやつらがいるのだよ。堂々と自分の日常を繰り返すがよい。最初に君は<闘う意思の現れ>と言ったがね、彼らにそんなものはない。危機感を煽る一方、いつか治まるだろう、ぐらいにのんびり構えているのだ、内心は。周りに歩調を合わせて安心する島国根性が、まだ私たちの中にくすぶり続けている。コロナ禍をいい機会として、そのような悪しき ”日本人らしさ” を払拭せねばならぬ」
(了)
1918字。