基本と応用の使い分けを

【50代男性です。コロナのおかげで、テレワークという働き方が当たり前みたいになってきましたね。いいことだとは思うのですが、これを機に、旧来の慣習を一掃しようと考えている人々がいるような気がして、少し心配です】

 

 

知る人「旧来の慣習を一掃する、とは、具体的に言うと」

問う人「在宅、というのを基本姿勢としますと、通勤しなくて済む、時間もかなり融通が利く、ってことで、従来の働き方がどんどん隅へ追いやられていくんじゃないかな、と懸念しているのです」

知る人「通勤して職場に向かうのも大切ではないか、と言いたいのかね」

問う人「それもあります。でも、それだけじゃなくて、長らく積み上げられてきた勤め人の歴史とでも言いますか、今まで海外からさかんに指摘され、称賛されてきた ”勤勉な日本人” という概念が崩壊してしまいそうで怖いんですね」

知る人「職住近接、という言葉が昔からあった。平たく言えば、職場と自宅がすぐそば、ってことだ。現代のサラリーマンは、遠距離通勤など当たり前だろう。だから、職場の近くに自宅があればいいのに、と思う。そんな人からすれば、テレワークは願ったりかなったりかもしれぬ。だが、職住近接と在宅ワーク、もっと広げて、昨今よく見かけるPC1台持って喫茶店やらいろんな場所で仕事している連中はだな、実に似て非なるものなのだ。職場が近いのと、今いる空間=職場、というのでは、本質的な違いがある。昔ながらの職住近接とは、単に勤め先が家に近いだけで、通勤がラク、ということに過ぎぬ。が、よく考えてみなさい、職場と自宅との物理的な距離など、勤め人の心理からすれば大した問題ではないのだな。もちろん、2時間以上もかけて汗だくになって通う人は別だがね。職場というのは、文字通り<場>なのだ。仕事だけで繋がっている極めて限定的な人間関係、私的には無関係と言ってもいいほど希薄な結びつきの人々と、タテヨコの関係を築き、仕事を完成させていく。それによって社会に貢献する。これが職場だ。一方、昨今の、場所を選ばぬ働き方はどうか。ここにないものは何かわかるかな」

問う人「人間関係とか、規則とか、ですか」

知る人「そう。それらはだな、一言で表現すると、<制約>だな。自分を押さえつけたり、制限したり、何らかの条件を付けられたり、或いは他人に気を使ったり、という具合に、職場には常に何らかの ”抑え” が作用している。不自由な手かせ足かせのように思う者もいようが、これらが実は私たちを大きく成長させる原動力なのだ。昨今のいわゆる ”自由な” 働き方には、この最も基本的な力が作用しない。最大の問題点はここだよ。もちろん私も、PC1台あれば場所を選ばぬというスタイルは現代的でいいとも思う。決して否定はせぬどころか、自分もそうしてみたいなあ、と考えることすらあるよ。だがね、これをやってもいいのは、通勤して職場という囲いで働く経験をある程度積んだ者だろうな。働き方の基本は、自宅や喫茶店にはないのだよ。あくまで職場という<場所>にしかないのだ。これが基本だよ」

問う人「その基本をないがしろにされる気がするんです」

知る人「ここはまさに、歴史ある老舗企業の出番だろうな。古い会社ほど、外部の者には理解し難い規則やしきたりが残存しており、それらが社員に無言の圧力を加えている。だが、それらすべてが一掃されねばならぬわけでもあるまい。中には守るべき慣習もあるはずなのだ。こうして企業がだな、働き方の基本と応用の巧みな使い分けの実例を示すことによって、より健全な働き方改革がすすんでいくであろう。<個>の時代だとかなんだとか言う輩がそこらにごろごろいるがね、社会の基本は組織なのだ。規律というのは、個人が強過ぎる社会には育たぬ。我が国にはまだ1憶を超す民がいるのだ。規律なくば国家は立たぬ。働き方は、基本と応用だ。こうしてコツコツとまじめに勤めを果たしていけば、社会での自分の役割がわかってくる。公私に渡って、私たちには役割があるのだ。その自覚を持つためにも、制約の中で自分を伸ばす努力と工夫をしなければならぬ」

問う人「なるほど。そうすれば、従来型の働き方も守られますね」

知る人「懸念すべきはそれだけではない。一見自由な労働者が増えるとどうなると思うね。彼らは自由に飛び回っているように見えようが、その実、要所は組織にきっちり抑えられている。あのイチロー選手ですら、マリナーズという組織があってこそ力を発揮できたのだからな。だが、自由人風の連中はだな、組織とは契約で結ばれているだけで、しがらみがない代わりに、いざというとき雇用を守る後ろ盾もない。まあ、俳優にも組合があるくらいだから、PC1台持って渡り歩く彼らにも庇護団体ができるかもしれぬが、今のところ、彼らは吹けば飛ぶような存在に過ぎぬ。よく考えてみよ、歴史ある一流企業には、将来の日本を背負って立つ優秀な若者たちが続々と結集しているのだよ。大組織の中には、フリーの連中など軽く凌駕するほどの人材がかなりいるはずだ。大企業がその気になれば、フリーの個人事業者など簡単に消されてしまうであろうな」

問う人「つまり、その、懸念すべき点というのは、自由人たちの立場は危ういということですか」

知る人「そう。自由には責任が伴う。大きな自由には、それだけ大きな責任が伴うのは当然である。彼らにそれだけの覚悟があるのか疑問だな。だから、せいぜいテレワークぐらいの ”制限付き自由” で満足するのが正しい選択だよ。強烈な<個>を目指すのなら、まずは制約の中で苦しまねばならぬ。下積みの苦労を厭う輩が全国に掃いて捨てるほどいるがね、国家の中枢に座るのは、制約に揉まれてきた強者でなければならぬ。今の時代の認識には、サラリーマンの安易かつ悪しき風習や考え方だけが残り、組織人本来の厳しさや強靭さといったプラスの側面がないがしろにされている。基本と応用の使い分けを忘れた者が増えれば増えるほど、わが国の滅亡の日は近づいてくるであろう。その日を遠ざけたくば、若い勤め人たちよ、まずは組織の荒波に呑まれてみることだ。そこから君たちの歴史が始まるのだよ」

(了)

2528字。

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