ニッポンは不思議な国か

【日本に来た外国人に、生活習慣の違いなどについて語らせ、日本の ”特殊性” を強調する。テレビの得意技の一つだと思うのですが、いささか度が過ぎるように感じられます。私たちって、自分を特別だと思いたいのでしょうか】

 

 

知る人「まあ、そうだな。視聴者はそう思いたいし、制作者もそう思わせたい。双方の考えが一致しているから、安定して視聴率を稼げるのであろう」

問う人「そういった意識の根底には、いったい何があると思われますか」

知る人「順不同の思い付き順で言えばだな、一日二十四時間垂れ流しがテレビ局の方針だから、濃い内容の企画などめったにない。作る側は、割り当てられたコマを埋めるためにやっているだけだ。見る側も、他にやることがないから、或いは静か過ぎる場にいたくないから、とりあえずテレビをつけているだけ。実に安易なる双方良しの関係が成り立っているわけだな。次に、典型的島国根性の発露であるとも言えよう。海に囲まれて暮らしてきた自分たちは、周りからどう見られているのだろう、対等な民族だと認識してもらえているのだろうか、といった意識に、劣等感、不安、自虐性、小規模な開き直り等が混ざり合い、結果として、自己の戯画化という道を選ぶに至ったのであろう。ヘタなお笑い芸人の如く、ちょっとネタを披露しては、ウケたかどうか客の顔色をうかがう、そしてまたネタの続きを始める。小刻みに相手の反応を確認していかねば、不安で仕方がない。私たち日本人も、それと似ているね。どうですか、ニッポンっておもしろいでしょ。いい国でしょ。あなたたちの国ほどじゃないけど、アジアの中ではマシな方じゃありませんか。多くの国民が、卑屈なる外交官と化しているのだな。さらに、昨今はコロナ禍で観光客が激減したが、このような特殊事情がなければ、今年も莫大な数の外国人が来日したはずだ。このこと自体は実にけっこうな現象なのだがね、そうして日本をよく知る外国人が増加することで、卑屈で気弱な島国根性人たちがその拠り所としてきた自分たちの ”特殊性” が色あせつつある、ということに、彼ら狭量なる島国人種たちもようやく気付き始めたんだな」

問う人「つまり、ああいった番組の氾濫は、島国根性人たちの危機感の現れでもある、と」

知る人「そう。ただ、常に受け身姿勢で生きてきた彼らは、危機感に牽引されて突っ走ろうとしているのではない。なんとなく不安、なんとなく落ち着かぬ、少し居心地悪くなってきたなあ、ここらでなんかやっとくか、というぐらいの、それまで通りの安易な姿勢の延長に過ぎぬ。自ら延命措置を施そうとしているのだな」

問う人「結局のところ、海の向こうを見てなんとなく期待したり不安になったり夢を見たり、という、島国民族特有の思考回路から抜け出せていないということなんでしょうね」

知る人「そういうことだな。少し違う話になるがね、かつて私の知人が、神戸の人たちについてこんな言い方をしていた。神戸人ってのは、いつも海の向こうを眺めて、ああ、いつかあのあたりから、何か面白いことがやってきてくれないかなあ、と、漠然と海のかなたに淡い期待をかけて過ごしてきたんだ、とね。これを言った人は、明らかに神戸人を嫌っていたから、まあ、あまり適切な例え話とは言えぬが、この<神戸人>を<日本人>に言い換えれば、島国日本の特徴の、かなり重要な部分を言い当てていると私は思うのだがね」

問う人「確かにそうですね。海の向こうに進出しよう、というより、向こうから来るものを待とう、という姿勢の方が目立ちますよね。これは21世紀の今でも変わっていない気がする」

知る人「だから優秀な人材が次々と海外へ流出してしまうのだな。外国で自分の力を試そうとしている彼らは、その気になれば日本を改革するだけの活躍も可能だろう。だが、そんなことに煩わされるより、もっと自由にのびのびと、自分を飛躍させる道を選んだのだ。かつて『末は博士か大臣か』という言い方があったが、今はこういった人材がみな、日本で博士や大臣になるのを嫌がり、別の道を進んでしまう。島国根性を底から叩き直せるだけの力量のある逸材が、その能力を、別の場所で、別のことに生かしているのだな。こうしていつかわが国には、カスしか残らなくなる。目先のことにとらわれ、刹那的にしか生きられぬ奴隷的日本人が多数派を形成し、少数の権力者の言いなりになって、日本は私物化される。そうしていつか世界地図から消える日が来るだろう」

問う人「そうなる前に、なんとかしたいですね」

知る人「そう。日本の特殊性というのを認めるとすれば、それは同時に他民族にもまったく同じことが言える。どこの国、どの民族にも独自性があり、守ってきた伝統があり、誇れる歴史がある。島国人種たちは、狭量な見解から一歩外に出ればこのような世界の多様性に気付けるのだが、そこまでは踏み出そうとせぬ。自分らの縄張りが侵食されるのを何より恐れるからね。世界には、私たちが容易に理解できぬ民族がたくさんいるのだ。自分たちだけが特殊だと信じようとする偏向した態度は、危険な排外主義・民族主義に通じる可能性を温存している。自分たちを特別に見せる、ということが、やがて、他民族を異端として見る、といういびつな精神構造を生むことにつながっていくであろう。多くの視聴者が、無意識のうちに、極論支持派へと育ってゆく。声を大にして言いたい。日本は特殊な国に非ず。日本人は平凡な一民族に過ぎぬ。優秀な人材はどこの国にもいる、優秀でない人もまたしかり。多様性の中には、多くの共通点=同一性も含まれている。さまざまな要素が混在して世界が成立するという、当たり前の認識を持った国民を増やさぬ限り、愚にもつかぬテレビ番組はなくならぬであろう。目先の違いなどどうでもよいではないか。日本人よ、先に進むのだ。世界に取り残されたくなければ」

(了)

2411字。

 

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