コロナ後の日本は変わるのか
【真摯なる生活者が立ち上がれば、日本は変わる。前回の主旨はそうでした。しかし、口で言うのは簡単ですが、実際にそれをやるとなれば、どこから手を付けてよいやら、皆目見当がつきません。具体的に、どうすればいいのでしょうか】
知る人「私たち名も無き生活者というのは、とにかく日々の暮らしに追われている。自身の義務を果たすのに精一杯だ。だから、どんなに立派な考え方や行動原理を体得していても、それらを公にするすべがない。発表の場を持たないのだな」
問う人「そうですよね。WEB時代になって、シロウトの意見が多くの人々の耳目に触れるようになりました。でも実際には、発言者自身に知名度があるか、広告や販売サイトとの連動で商業化しているか、だいたいこのどちらかでしょう。見たくもない広告を見せられ、いつの間にか販売サイトに誘導されるような仕組みを快く思っていない人も多いはずです。こういった人々は、結局、発言の機会を失ったまま、日常に埋没してしまうでしょうね」
知る人「その通りだな。まあ、中には自分のブログの中で記事を書き続けて知名度を上げたという例もなくはないが、アクセス件数を伸ばすためにさまざまな小技を駆使せねばならぬし、それに第一、いつ芽が出るやら見当もつかぬ。WEBよりはむしろ、紙媒体で勝負した方が早いかもしれぬ。論理的な文章の組み立てに自信のある向きならば、評論などの新人賞狙いが近道かもな。かつてルソーが世に出たきっかけは、懸賞論文であった。当時とは時代がまったく違うとはいえ、あえて正攻法でいくのも面白いと思うがね」
問う人「でも、それも言ってみればバクチですよね。採用される保証はもちろんないし、受賞できたとしても、自分の思うような形で発表できるかどうかわかりませんし」
知る人「そうなんだな。一番確実なのは、実際の活動と言論の二方向で進めていくことではないかな。NPOをはじめとして、世は非営利団体が続々と誕生している。だいたいが地味な事業に取り組んでいるが、それなりに社会的意義を認められたところは、地域に根付き、しっかり成果を上げているね。このように、実業の分野で結果を出していれば、発言はだんぜん重みを増す。まあ、これもまずは事業の成功が前提となるわけだが、考えてもみなさい、どこの馬の骨ともわからぬ雑兵がいくら声高に叫んだところで、誰が耳を貸すと思うかね。地に足を付けて、己の理想に向かって第一歩を踏み出すことだ。これができぬ者は、ただ黙々と日々を生きる他あるまい」
問う人「非営利だけとは限らないでしょう」
知る人「もちろんだ。株式会社のような営利企業であっても、市場原理の中で理想を追求すべく闘っている良心的な組織もあるからね。だが、今の我が国と世界で起きている諸問題は、根底に市場主義の機能不全という深刻な病巣を抱えている。これを克服するには、営利・非営利双方からの行動が不可欠であろうな」
問う人「では、何をやればいいのでしょうか」
知る人「いったん市場に出れば、とにかく四方八方敵だらけだ。他人の足を引っ張るのだけを生きがいにしているような輩もいる。こういった逆風吹きすさぶ中で理想を通すには、三度の飯より好きなことを事業に取り込むしかない。大好きなことでなければ、逆境に打ち勝つ知恵も勇気も決断力も湧いてこぬであろう。自分には何ができるのか。たった一つでよい。一つに的を絞り、一点突破主義に徹するのだ。このような事業家が全国に続々と誕生すれば、コロナの教訓は間違いなく生きるであろう。まずは自分を知ることだ。すべてはそこから始めなさい」
(了)
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