反乱のために必要なこと(2)

【真の民主主義を確立する第一歩は、本業に徹し、そこを足掛かりにして歩み始めることだ、と。よくわかりました。では、その次に必要なことは何でしょうか。二歩目が出なくて足踏みしてしまっては何にもならないでしょう】

 

 

知る人「君の言うとおりだ。確かに一歩目は大切だが、そこで止まっては話にならぬ」

問う人「では、二歩、三歩と進んでゆくのに必要なことを教えていただけますか」

知る人「自分は正しいことをやってるんだ、という確固たる信念を持っていたとしても、それを他人に理解してもらわねば、社会改革の力にはならぬであろう。だが、自分の頭の中では立派な理論や主張であっても、人に説明できなければ宝の持ち腐れというものだ。他人に伝える手段だよ、これが必要なことの二つ目だ」

問う人「伝える手段、と言いますと、メディアを味方にするとか」

知る人「そうできれば有利だな。まあ、そこまででなくとも、要は表現力だ。自分の思っていることを何らかの形にして伝える技能だね」

問う人「文章表現力とか、大衆に向かって話す力とか、でしょうか」

知る人「そう。文章にする。歌などの作品にして伝える。絵を描く。舞台で演じる。その他、いろいろ考えられようがね、とにかく、人を説得しなければならぬ。自分の理解者を増やしていく必要があるのだな。それには、本業に加えて、表現力も一流であれば言うことはない。文章と言っても、文芸作品を書くのではないのだから、流麗な格調高い名文である必要はまったくない。大衆に語り掛けることの基本は、何と言ってもわかりやすさだ。難解な専門用語や挿入や引用だらけの複雑怪奇な文章というのは、だいたいにおいて中身が薄い。無学な老人のつぶやきの方が、はるかに強い説得力を有していることもあろうね。考えてもみよ。私たちは、自分が理解していることしか口には出せないのだ。まず自らが納得する。そして、それを他人に伝えたいと思う。そう来れば、自分のもっとも伝えやすい表現形式を採用するのが、一番の近道なのだ。書くのは苦手でもしゃべるのは得意であれば、文章など一行も書く必要はない。話せばいいのだ。ジム・クロウチに『歌に託して』という名曲があるがね、歌うことで人を説得する自信があるのなら、街頭にでも立って歌うがよい。そのときこそ、もっともその人らしい、自分に正直な時間なのだよ。我らのごとき一般無名人は、あくまで直球勝負だ。変化球を狙ってはならぬ。これが自分です、と堂々と言える表現形式さえ持っていれば、著名人に噛みつかれても怖くはない。自分の型にはまった人間は強いのだ」

(了)

1071字

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