バカの相手は、ほどほどに
【また例の堀江某が、今度は修行を否定する発言をしています。寿司職人を例にとり、何年も苦労しなくたって、今は動画サイトなどを活用すれば、簡単にオイシイものをつくることができる、と。これについてお考えを】
知る人「そうだな。あの男は、ライブドア時代にかなり世間を騒がせたが、結局のところ、何一つ残してはおらぬ。今のご時勢には掃いて捨てるほどいる虚業屋の一人に過ぎぬのだが、メディアの活用に長けておるからな、つまらぬ発言でもある程度の影響力がある」
問う人「放っておくしかないのでしょうか」
知る人「結論としてはそうなるだろうな。なんせ、こっちは無名なのだよ。虚名をはせているに過ぎぬとはいえ、知名度の点ではまったくケンカにもならぬからね。WEB上には彼のように、好き放題言いっぱなしの連中がうじゃうじゃいる。いちいちまともに受けていたらきりがなかろう。ただ、今回の修行云々について言っておくとすればだな、指摘すべき点は以下の通りだ。
1)回転ずしに代表されるごとく、巧妙に本物に似せた偽物が現代を支配しており、今を生きる我らは等しくそれらを享受して育った。つまり、職人芸を理解できなくなっている。昨今の下品なお笑い芸を例に出すまでもない。このような環境下のユーザーを想定し続けるのであれば、彼の言う通り、動画サイトからいいとこどりすればじゅうぶんであろう。
2)彼自身、修行そのものを否定しているわけではなく、本人もひとことそう付け加えている。おいしい寿司、という<結果>だけから考えれば、十年もの修行は不要かもしれぬ。古書店界に革命を起こしたBOOK・OFFの創業者は、事業を始めるにあたり、古書店で修行しようと考えた。ところが、はっきり覚えておらぬが、十年だか二十年だか、とにかく、自分がオヤジになってしまう年齢に至るまで修行せよと言われ、とてもそこまでやってられないと感じて、彼独自の古書籍査定方法を編み出したのだな。その結果、いまやそこらじゅうにあるね、彼の創業した事業体の店舗が。だがどうだ、彼が避けた老舗の店舗も、まだまだ健在だね。新興勢力と旧勢力が併存している。これはつまり、職人芸による品ぞろえを支持するユーザーが少なからずいるということだ。
3)上記との関連になるが、師匠の下で学ぶというのは、単に技能の習得だけでなく、人間を学び、師の人脈をも受け継ぐという意義がある。もっとも重要なのはここなのだ。21世紀の我が国は、人間関係の希薄な国になってしまった。人が生きられるのは人のおかげなのだ。人を生かすも殺すも人次第なのだよ。人から人への継承を割愛・省略し、結果だけをリレーのバトンのように引き継いでいけば、最後はAI国家となって終わるであろう。人間が不要になる。長くまじめに働いてきた人間というのは、地味ではあっても、必ず何か光るものをもっているのだ。前の世代から、それを受け継がねばならぬ。これが<世代間継承>であり、このような行為を<世代間架橋>と私は呼んでいる。人の輪が切れたら、そのときこそ民族の終焉だと覚悟しておかねばなるまい。もちろん、古いものは何でも受け継ぐというわけではないが、ただ結果だけを見て評価する現代的価値観は、民族の礎を瓦解させる。今の我らの立つ場所は、先人たちの血のにじむ努力の結晶なのだ。このことを頭に入れておけば、虚業屋の妄言などに惑わされることはないであろう。バカの相手はほどほどにしておくがよい」
(了)
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