声に出したくない日本語(2)
【オリンピック選手の話題が出たところで、もうひとつ、そういうのに関連して、気になる言葉があります。 ”国民的〇〇” という表現なんですが、実に日本的というか、口にしたくない言葉ですね・・・】
知る人「国民的アイドル、などと言われたりするね」
問う人「そうです。でも、国民栄誉賞の候補にあがるような人でさえ、知らないって人もいるでしょう」
知る人「いかにも。かつて私の職場に、野球にまったく興味を示さぬ女性社員がいた。ちょうど、イチロー選手が米国で大活躍していた頃だ。ある日、新聞の一面にイチローの偉業をたたえる記事が載った。それを見て彼女はこう言ったよ。
イチローがヒット打っただけで、なんでこんなに騒ぐの?
・・・大リーグの一流選手でさえあこがれるほどのスーパースターですら、無関心な人にとってはどうでもいい存在に過ぎぬ」
問う人「確か、国民栄誉賞を辞退しましたよね、イチロー氏は」
知る人「自分はまだまだ先に進むのだ、という強い意志の表れだな。まあ、イチロー氏ほどの人物でも、国民的云々、と表現していいかどうか、微妙なところなのだ。どこかの作詞家崩れがかき集めた能無し小娘の集団などに対して使える表現ではあるまい」
問う人「国民的、とひとくくりにしたがるのは、前回論じたのと共通する心理でしょうか」
知る人「そうだな、極めて日本的、と言えるかどうかはわからぬが、そうやって囲いを作ろうとするのは、私たち日本人の特徴のひとつと言ってよかろうね」
問う人「そういう場合、興味のない人の存在は無視するのでしょうね」
知る人「まあ、そうだろうな。国民の大多数がその人間を支持しているなどということは、まずありえぬから、なんとなく感じで決めるのか、どこやらの調査会社から買った、マスコミにとって好都合な情報などにもとづいてそう言うのか、とにかく、マスコミ得意の印象操作であろうな」
問う人「でも、自分の好きな有名人がそう言われると、うれしいでしょうけどね」
知る人「安心するのだろう。ああ、自分は多数派の一角に位置していたのだ、とね。自分の頭で考える習慣が身についている人ならば、個性は千差万別、十人十色だと、当たり前の認識を持っているであろう。考えてもみよ。日本の首相の名前を即答できるかね。日本一目立つ職業のはずなのに、いったい誰がその職をつとめているか、すぐには思い出せないほど印象が薄い。芥川賞受賞など、1か月もせぬうちに忘れられている。まあ、とかく忘れっぽい国民性ということを考えると、軽薄な人物ほど、国民的と呼ばれるにふさわしいかもしれぬが」
問う人「とにかく、できるだけ使いたくないですね、その表現は」
知る人「言葉の印象通り、軽薄な人間だと思われるだろうな。こうして、言葉の選択肢が減っていくのだよ。パズルのピースのように言葉を扱う者が増えれば増えるほど、思慮深い日本人は意見の表明が難しくなる。軽薄に堕した現代語を避けねばならなくなるからね。こうして日本語は劣化し、日本人はダメになっていくのだな」
(続く)
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