声に出したくない日本語(3)
【ちかごろの日本語の傾向として、やたらとへりくだる言い方が好まれますよね。 ”〇〇させていただく” というのが、耳についてなりません。文法的には間違ってないですが、使う状況など、?と思ってしまいます】
知る人「つい最近のことだが、ある芸能人の男女が、ネット上で自分たちが結婚した、と伝える記事を読んだ。その中で、新郎がこんなことを書いていた。
このたび私たち二人は、結婚させていただくことになりました。
・・・よほど強い反対にでもあっていながらも何とか合意をとりつけた、ということかと思ったが、そうではない。たぶん、世間に受け入れられる謙虚な言い回しだと思ったのだろう。 ”世間” を何より気にするわたしたち日本人らしい、過剰な気遣いだな」
問う人「そう言えば、好感度が上がるとでも思ってるんでしょうね」
知る人「おそらく、実際に上がっただろうな。なぜなら、そのニュースの受け手である読者・視聴者も同程度の言語感覚しかもっておらぬからな。軽薄者同士の意思疎通だから、問題はないのであろう」
問う人「でも、正しい日本語感覚を持った人は、違和感を覚えますよね」
知る人「違和感というより、脱力感だろう。ああ、ここにもまたバカがいた…とね。一億総〇〇、などと言えば、前回論じた<国民的>と同根のマスコミ用語を使うことになってしまうが、今はまさに ”一億総非常識化” の時代と言ってよかろう」
問う人「バカがバカの言葉を聞いても、どこがどう間違ってるのか、わからないですよねえ」
知る人「単に文法的、あるいは使用する状況の誤りであれば、まだ傷は浅いと言える。だが昨今の乱脈日本語はだな、それを平気で使う日本人の意識の根底に、『間違ってたってかまわないじゃない。言葉なんて、相手に通じりゃいいんだから』 …という具合に、恥ずべき開き直りが潜んでいる。否、人によっては、それが露骨に顔を現しておる」
問う人「尊敬語だろうが謙譲語だろうが、普通よりていねいに言えばそれで敬語でしょ? って思ってる輩もいるでしょうねえ」
知る人「今回論じる ”させていただく” は、わたしたち日本人に極めて特徴的な、いわゆる<おじぎ言葉>のひとつと言ってよい。文脈の中で、何度も何度も、相手への意思確認(=ね、いいでしょ?)を繰り返すのだよ。商店や飲食店の看板でも、
本日はお休みさせていただきます
・・・というのをよく見かけるね。自分が決めた定休日なのだから、もっと堂々としていればよいと思うのだが、ここにも、顧客に向かってしつこく意思確認を繰り返し、同意を求める土下座的態度が感じられる」
問う人「コンビニなんかで買い物するとき、レジ担当者が、『1000円お預かりさせていただきます』と言ったりするんですよね。あれも聞いててあまりいい気しないです」
知る人「こういうのはだな、敬語の正しい使い方、という視点で学習しても成果はあがらぬであろうな。現代の、人と人との希薄な関係にまで踏み込んだ対応が必要だ。親しくなればなるほど、言葉は簡素になっていくものだからな。上目遣いに相手の心をちらちらと見やるような敬語もどきなど、親しい間柄では不要だろう。親しき中にも礼儀あり、と昔から言われるが、この場合、 ”〇〇させていただく” が頻発することはありえぬであろう。お互いに敬意を示しあえばそれでいいのだから。させていただくが幅を利かせている状況では、ほとんど、丁寧語ぐらいでじゅうぶんなのだよ。誰が聞いても不快に思わない、やわらかい表現を用いることだ」
(続く)
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