義務感だけで人は動かぬ
【12月2日の記事 『好きなこと』って、どんなこと で言い足りなかった点を、本記事にて述べてみたいと思います】
知る人「12月2日の話の中で、いちばん大切なことが抜けておった。ここで追加しておきたい」
問う人「自分の素顔と向き合うようにせよ、というお話でしたが」
知る人「そう。ただ、特に生真面目な人たちに言っておかねばならぬ重大なる点があるのだ。本記事の表題に『義務感』と書かれているね、これだ」
問う人「義務感だけで人は動かぬ、というのは、素顔と向き合うってことと関連していますよね」
知る人「いかにも。自分の仕事に誇りを抱いている人たちというのは、強い義務感も同時に持っている。それは、
こうしなければならぬ。自分がやらねば誰がやる。すべては世のため人のため。
・・・とまあ、常に自分に鞭を入れ、叱咤激励しつつ前に進もうとする。このような思いは、おのれを奮い立たせる原動力として機能しているあいだはいいのだがね、やがて、自分を拘束する手枷足枷に変貌する場合も少なくないのだ。義務感と使命感だな。どちらも実に大切なものなのだが、それらが優先順位第一位に居座ってしまうと、本当にやりたかったことが何なのか、わからなくなる。ただもう、ひたすら、 自分がやらねば 自分がやらねば との思いにとらわれ、おのれの核となっている大事な部分をすり減らしてゆくのだよ」
問う人「はあ、それ、精神的にも危ない状態ではありませんか。あまり適切な言い方ではないかもしれませんが、過労死につながってしまうような」
知る人「その通り。心身の均衡が、危険な状態に追い込まれてゆく。こうなってしまうと、何のために働いているのかわからない。言ってみれば、自分がいなくなるのだな。おのれの体が、からっぽの器みたいに思えてくる。未来の展望が消え、疲れ果てた自分の姿だけがぼんやりと見えている。この段階になれば、そもそも自分の『好きなこと』が何だったのか、まったくわからない。極端な言い方をすれば、自分が誰なのかもわからなくなっているかもしれぬ。それでも働き続ければ、身も心もすり減らし、あとは精神科か心療内科のお世話になるだけだ」
問う人「そういう人、実際にいるのではありませんか。ぼくの職場にも似たような人が」
知る人「まあ、程度の差はあっても、同様の状態に追い込まれつつある人は少なくないだろうな。こうならぬようにするにはだな、 やらなきゃ、やらなきゃ という思いが募った時点で、いったん立ち止まるしかないだろうな。ああ、自分は今、やりたいことから離れ、やらねばならぬことだけに急接近している、との自覚を持つことだ。世の仕事、社会の役割のほとんどは、特定の個人にしかできないような性質のものではない。つまり、代替えがきく。身もふたもない言い方をしてしまえば、あんたじゃなくてもできるんだよ、ってことだな。だが、好きなことであれば、他人よりも高い水準で仕上げることができよう。自分が生き生きと躍動しているか、死んだ魚の如き目で義務感・使命感に縛られているか。ここは極めて重要なる分岐点だ。冷静に判断してもらいたい。あなたは誰にでもできる役割を担うために生まれてきたのではないのだ。あなただからこそ最高にうまくできる何かをやるために、この世に出てきたのだからな。時々でよいから、おのれを突き放して冷静になるのだよ。意味のない生き方などないのだ」
(了)
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