<男は仕事>。これぞ諸悪の根源
【50代既婚男性です。息子と娘がいます。倉庫の品出し作業に従事してもうすぐ20年、いい加減疲れ果てました。四十にして惑わずなどと言われますが、とんでもない、わたしは惑い続けています。いつまでこの状態が続くのか…】
知る人「倉庫というのは、倉庫業かね、それとも、企業の物流部門の一機能かな」
問う人「食品商社の物流部です。もともとは営業志望で入社したのですが、30歳過ぎたころ、成績不良で物流に飛ばされて、以来ずっと同じ部署にいます」
知る人「疲れ果てた、というのは、業務量が多すぎると」
問う人「それもありますが、主な原因といいますか、疲弊の元凶はそこにはないですね。50ヅラさげてこんなこと言うのも恥ずかしいのですが、とにかく日々つまらない、おもしろくないんです。こんなに退屈な仕事、よくぞ20年もやってきたものだ、と、自分に対して、呆れ半分・慰労半分ってとこでしょうか」
知る人「転職は考えなかったのかな」
問う人「もちろん考えましたし、実際に探しました。でも、この年になると、よほど実績のある人でないと、受け入れ先なんかありません。まったくの異業種も視野に入れたのですが、不動産の歩合セールスとか、タクシー運転手とか、もっと不向きな職種しか募集がありませんでした」
知る人「なるほど。やる気も向上心も失った状態で、毎日毎日働き続けるのは、さぞかし辛いだろうね」
問う人「はい、実は、死にたくなったこともあります。でも、女房と子供たちを思うと、働き続けるしか道はない、と踏みとどまりました」
知る人「働き方改革が叫ばれてすでに久しいが、いい意味でも、悪い意味でも、働き方は多様になった。自分の立場や境遇に合わせて、ホテルのビュッフェの如く、自由に選んで持ってゆくことができる、と思い込んでいる人もいるだろうな。だが実際には、誰もがやりたがる人気職種は限られており、そんな分野は高い競争率を示している」
問う人「そうですよね、考えることはみんな同じですからね」
知る人「一流大学出の若者ですら職が得られず困っている。派遣切り・上司の横暴(植民地語でいう ”パワハラ” )等々、劣悪な環境下で耐え忍んでいる人も多い。三六協定などという従業員使い捨て基準まで設けられてしまった昨今、いわゆる<いい仕事>などは望むべくもない、とあきらめている人々も多かろうね」
問う人「そうなんですよね、自分よりずっと若い人たちも、仕事がなくて困ってるんですよね。そう考えると、よけいに、我慢するしかないのか…と落胆してしまうんです」
知る人「若者の場合、楽な仕事ばかり選ぼうとしているから職にありつけないのだ、世に言う ”3K” なども視野に入れれば、決して就職難などではない…という意見もある。まあ、今回は50代男性の事案であるから、若者については詳しく話さぬがね、ただ、単なる景気循環上の不況ではなく、世の構造の劇的変化、私たちの職業観・労働観・人生観の変化または変質と、労働市場内の需給バランスだけでは説明がつかぬのが現状だ。3Kを選べば済むという問題ではない。さて、君の場合だが、つまらぬ仕事を20年も続けられた原動力があるとすれば、君は何だと思うね」
問う人「まあ、やっぱり家族でしょうね。妻と子供たちのためには、働き続ける以外ない、と」
知る人「お子さんはおいくつかな」
問う人「上がはたちの大学生、下は17歳の高校生です」
知る人「来年は受験だね」
問う人「はい、それも考えないといけないですし」
知る人「上の子の学資はどうしてるのかな」
問う人「奨学金制度を利用してます。下の子もそうするつもりです。というか、そうするしかないんです、お金がないので。進学塾の授業料と、大学入試の受験料だけで精一杯ですね。女房も働いてるので、そこまでは何とかなるんですが」
知る人「おそらく、君のように悩んでいる男性はかなりいるであろうな。確かに、家族のために働くのは大切だ。だが、君自身が楽しくなければ、結局はどこかで破綻するだろう。そうなる前に手を打たねばならぬ。やりたいことが何かあるだろう。ぼんやり、漠然としたものでもいいから、何かないのかな」
問う人「ええ、実は、昔から子供が大好きでして、就職先を選ぶときも、子供服とか、おもちゃとか、子供関連の商品を扱う企業に絞って活動したんです。でも全部落ちてしまったので、たまたま目についた食品商社を受けたら通った、というわけでして」
知る人「決まりだな。今からでもじゅうぶん間に合うから、そっちに移りなさい」
問う人「いやいや、とてもとても。50代未経験の男なんか相手にされませんよ。倉庫の品出しにしても、若い子しか受け入れないし、しかも派遣が多いし」
知る人「派遣でもいいではないか。金を稼ぐために行くのだから」
問う人「ううん、でも、女房持ちの男が派遣だなんて」
知る人「仕事は稼ぐ手段、と割り切れば、雇用形態など問題ではないはずだ。君の意識には、<男は外で働き、女は家庭を守る>という、戦前の家族観の影響がみられるね。世を見渡してみよ。いまや、性別すら不動の概念ではなくなったのだ。あれもいや、これもいや、と次々に職を変えるのは考えものだがね、社会の隅々までよく見てみれば、仕事として取り組めそうなことは案外あるものなのだ。まして君の場合、子供好きという明確な特長がある。そんなに子供が好きなら、保育士になりなさい。これなら50代でも求人はある。老人介護と並んで、離職率の高い業界だからな」
問う人「考えたんですけど…、あれ、女の仕事でしょう」
知る人「そこだよ、君を縛り付けてきた諸悪の根源は。男=仕事、というのは、確かに、私の父も口を酸っぱくして言い続けていたことだった。仕事に打ち込んでこそ男だ、とね。だが、ちょっと考えればわかりそうなものだが、働かなければ生きてゆけぬのだから、男だろうが女だろうが、仕事第一の生き方になるのが当然なのだ。まあ、そういった常識的な観念をも超えた何かを言いたかったのかもしれぬがね、とにかく、今の君はだな、そのような ”男” にとりつかれておる。これを払拭せねば、まだまだ現状を続けざるを得ぬであろうな。よいか、君の年齢になって、我慢して働くことなどないのだよ。安月給でも構わぬから、保育士試験の勉強に打ち込みなさい。一生涯の仕事になるか否かはわからぬが、閉塞感を打ち破る力にはなるはずだ。家族のために、今までがんばってきたのだろう。もういいのだよ。心の琴線に触れるものだけを仕事にしなさい。他は無視するのだ。食品商社の業務など、不良品の如く、まとめて会社に返品してやるがよかろう。自分の人生なのだ。家族のためではなく、自分のために生きるのだ」
(了)
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