犬を見て思うこと
【我が家の愛犬を見ていて、ふと思ったんです。この寒い日々、うちの犬は暖かい部屋にいられる。でも、野良犬はきょうもあしたもあさっても、餌を求めて歩き回る。この差はいったい何なのか、と。考え過ぎでしょうか】
知る人「犬種は何かね」
問う人「ミニチュア・シュナウザーです。女の子です。この秋、4歳になりました」
知る人「あの種はほどほどにしか大きくならぬから、室内犬としては扱いやすいだろうね」
問う人「もう、可愛くて可愛くて。私には娘が二人いるんですが、彼女たちも、愛犬のお世話が楽しいみたいですね」
知る人「飼育動物の利点だな。家族をつなぐ役目を果たしてくれる。まあ、それなりに、養育費はかかるであろうが、我が子と同じと思えば納得できるものなのだろうね」
問う人「ええ、そうなんですが、ここのところ、すっかり寒くなったでしょう、うちの犬も寒がって、石油ファンヒーターの前から動かないんです。起毛の衣類まで着せてもらって」
知る人「なるほどね。食事はきっちりもらえるし、時々おやつもあるし。昼寝はし放題。確かに、野良犬が見たら激怒しそうなくらいの差だね」
問う人「そうでしょ。野良犬と言えば、最後はそこらの悪ガキにいじめられて死ぬか不具にされるか、飢え死にか保健所行きか、まあ、いずれにせよ、飼い犬とは正反対の末路が待っています。この違いは何だ、と悩んでしまったんですね」
知る人「飼い犬といえども、終生安泰とも言えまい。途中で飼育放棄されて捨てられるものが後を絶たぬ。そういった人間の自分勝手な無責任な態度の犠牲になった犬たちを、保健所の手から救い出そうとがんばっている非営利法人などもあるね」
問う人「ううん、なんでわたしたちって、生き物を飼いたがるんでしょうね」
知る人「人それぞれだからな、理由や動機を特定してしまうことはできぬが、まあ、愛玩動物という言葉が示す通り、生き物を愛でることによって、心のはけ口を求めるというのが多いのではないかな」
問う人「野良犬って、最近はあまり見かけませんけど、気の毒ですよねえ」
知る人「生まれつきそうだとは言えぬであろうな。犬だって、子を産むには相手が要るし、そうするには体力も必要だ。なんせ、多くの動物たちは、わたしたち人間によって ”生産” されておるのだからな。その生産過程で振り落とされた不良品の如き立場だとも言えようね」
問う人「はあ、残酷な話ですね」
知る人「遺伝子操作までやる時代だからな。犬猫の命など、物の数ではないのであろうな」
問う人「これからもずっと、不幸な野良犬は出てくる、と」
知る人「そうだね。私たち人間の社会を見渡してみなさい。同じだろう。住む場所にしても、定住者がほとんどだが、住所不定者もいる。少数派の彼らは、こう言っては申し訳ないのだが、野良犬となんら変わるところはない。毎日毎日、餌探しだ。早朝、まだ薄暗いうちに、空き缶の入った大きな袋をぶら下げてどこかへゆく浮浪者風の人を見たことがあろう。あの人たちも同類だ。今回の主旨ではないから深く論ずることはせぬが、画一的に生きることを強いられる現代社会の流れから外れてしまった人たちも多く含まれるだろうな」
問う人「つまり、人間ですらそうなのだから、という結論でしょうか」
知る人「見もふたもない言い方をすればそうなろうね。だが、住所不定となった人々が元は普通の社会人であった、という事実と、野良犬がもとは飼い犬だったということとは、根がまったく異なる。人間はおとなになれば自主的に生きてゆけるが、犬は違う。人間と飼育犬の関係史はそうとう古いものだが、現代社会の中には、犬が自主的に生をつないでゆける環境など皆無である。私たち人間が、常に豊かな自然と共存しているのであれば、犬の命の心配は無用というものだ。自力で生きてゆくだろう。だが、人間でさえ生き辛い加工品社会が隅々まで浸透し切った現21世紀において、商品として作られた犬が野生に還るなど不可能だ。彼らも私たちと全く同じく、生き物である。それらを世に誕生させた以上、最後まで面倒を見るのが人間の義務というものだよ。餌を求めてさまよう野良犬、寒さをしのごうと居場所を探す野良犬。彼らの姿は、そのまま私たち人間の、未来ではないぞ、今の姿なのだ。保健所の職員にしても、動物を殺すのが楽しいはずはない。中には、我が子に自分の職業についてはっきり語れず苦悩する人もいよう。それでもやるしかない。この狂った社会を正常にするには、私たち一人一人が、文明の<進歩>の異常さに気付く他ないのだよ。命を大切に、というのではない。もっと根源的に、その生命らしさとは何か、いちばん生き生きしているのはどんなときか。あらゆる生命体に対して、一度考えてみる必要があるだろう。欲望の増大とか、積年の憎悪とかいったわかりやすい行動原理などではなく、大地と太陽と空気、それらと生命とのかかわりだ。ここまで立ち返って考え抜かねば、地上の悲劇は延々と続くに違いない」
(了)
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