君、闘ってるかね

【あと少しで職業人生活30周年を迎えます。振り返ってみると、身に付いたことが何一つないんですね。よくぞここまで空疎な働き方ができたものだ、と、われながら驚くやら、あきれるやら。自分がこんなでき損ないだったとは・・・】

 

 

知る人「あとわずかで新年だ。でき損ないの自分にあらためて気付いた君は、新しい年をどんな心構えで迎えるつもりなのかね」

問う人「はあ、そうですね。来年もやっぱり、こんな自分なんだろうな、としか思えないですね」

知る人「空疎な働き方とは、つまり、職業を体系的に学ぶことができなかったという意味だね」

問う人「おっしゃる通りです。どんな仕事にも、核とその周辺があると思うんですが、自分は、核の外側をぐるぐる回っていただけで、とうとう、核心に踏み入ることなしに終わりそうなんです」

知る人「仕事の<芯>とも言える中心部は、どんな職業であれ、もっともおもしろいところだ。そこに入りたくて誰もが働くのだと言ってもよかろうね。君の場合、そのもっともおもしろい場所に入ることなく、職業人生を終えてしまいそうなのだな」

問う人「そういうことになりますね。今までに七つの法人で働きましたが、どれもものにならず、です」

知る人「なるほど。当サイトでは、職業観や人生観について、何度も論じてきた。ここで同じ話を繰り返すことはせぬ。以下にいくつか挙げておくから、参考にすればよかろう。

2023年12月29日 何かに打ち込む生き方を

2023年12月22日 <男は仕事>。これぞ諸悪の根源

2023年12月18日 読む・考える。そして書く

2023年12月8日 義務感だけで人は動かぬ

2023年12月2日 『好きなこと』って、どんなこと

2020年9月26日 自然体で生きるには

2020年8月6日 人生は、一本の道である

2019年9月7日 <魂>の始まりは、君だ

2019年8月14日 晩成する大器とは

2019年6月29日 産まれてきたのは何の為

・・・10本の記事を紹介しておこう。暇なときにでも読みなさい」

問う人「あの、前回の 何かに打ち込む生き方を の最後にあったのですが、他人の迷惑にさえならなければ、ただ ”在る” だけの生き方でもいいんだ、という部分に心ひかれました」

知る人「君もそうありたい、ということかな」

問う人「もしできるなら、そんな人間でありたいですね。甘い考えでしょうか」

知る人「甘いことはないがね、ただあれはだな、誰もが何かしなきゃ、と先を急ぐような世の流れに対して、そうではない生き方もあっていいのだ、という意見表明に過ぎぬ。実際の話、ただ在るだけ、という生き方とはいかなるものか、私の身近にも具体例はおらぬ。仏教の坊主がときどきそのような説教をするようだが、彼らこそ我欲の権化だからな、口先だけ聞こえの良いことを言うが、中身はない」

問う人「つまりですね、実際には難易度の高い生き方だと」

知る人「そうだな。何といっても、自分とはいかなる人間なのか、じゅうぶんに理解できていることが大前提となる。君は自分をどのていど理解しているのかね。まあ、答えにくい問いかけではあろうが」

問う人「ううん、どのくらい自分をわかっているのか、と問われれば、さあ、と首をかしげるしかないですね。ただ、社会全体の方向性に合わない人間だな、とは思いますが」

知る人「具体的に」

問う人「大上段に振りかぶるような話し方はしたくないのですが、ソ連が崩壊して共産主義がほぼ死滅して以降、世界は市場主義一色に塗りつぶされた気がするんです。地球上、どこに行っても市場経済が支配して、需要と供給が限りなく作り出されてゆく。こんな時代にあっては、市場主義に馴染まない人間は落伍者ですよね。自分はまさにそんな種類の人間なんです」

知る人「ソ連崩壊云々についてはおいておくとして、まあ、確かに君の言うとおりだ。市場経済の動きについてゆけぬ者は失格の烙印を押される。需要を作り出すことも、それを追いかけてゆくこともできぬ者は、市場主義社会では役に立たぬ存在だからな。古くから続く職人の世界、医療関係者、公安・防衛関連職、あるいはスポーツ選手のような特殊技能を競う世界は別として、ほとんどの職業は、商品・サービスを作るか、それを何らかの形でやりとりするか、とにかく、売り買いに関わるものばかりだ。学校の教師は違う、と思われるかもしれぬが、生徒たちを受け入れるのが市場主義社会である以上、彼らとて無関係ではあり得ぬ」

問う人「どこにも逃げ場はないってことですね」

知る人「今述べた例外的な職業は、幼い頃か、少なくともハタチぐらいまでにはそれと決心して準備を始めておかねばならぬであろう。すでに社会人生活30年となる君には、どれも不可能だ。まさか、今からそういうのを目指そう、などと思ってはおらぬであろうね」

問う人「もちろんです。若い頃から、そういうのには興味なかったので」

知る人「心の琴線に触れるものだけをやるべし、と当サイトで論じたのはつい最近なのだがね、君にそれを期待するべきではなさそうだね」

問う人「ううん、そうですねえ。何があるだろう・・・心にひっかかるものがあるとすれば、ごみの出し方とか」

知る人「具体的には」

問う人「近所のごみ集積所に、しょっちゅう、曜日を間違えていたり、内容が違っていたりするのがあるんですけど、そういうのを見ると悲しくなりますね。ああ、自分さえよければいいんだなあ、って」

知る人「頭にはこないのかね」

問う人「まあ、怒ってもしかたないでしょう。第一、どこの誰が捨てたのかもわかりませんからね。犯人探しなんて嫌だし」

知る人「悲しくなるだけで終わりでいいのかな」

問う人「そりゃ、できることなら、ご近所さんみんなにしっかりやっていただきたいですよ。でも、自分が先頭に立って何かやるというのは、どうも」

知る人「どうも何だね」

問う人「最初にお話した通り、自分にはとりえらしいものが何もないんです。おおぜいの意見をまとめたり、人々を導いたり、というのは、高度な能力が必要ですよね。自分にできることではないと思います」

知る人「でも、我慢するだけ、悲しむだけ、というのもつまらぬであろう。君にできることは何かないのかな。考えて見たまえ」

問う人「ううん、そうですねえ、とりあえず、と言いますか、まずは自分自身だけは正しくごみを出す、それから、間違えそうな人を見かけたら、反感を買われないていどに声をかけて、正しくごみを出していただく。・・・まあ、こんなところでしょうか」

知る人「実に常識的な、良識ある回答だな。それでよかろう。だが、そうやっているうちにだな、君はあることに気付くはずなのだ」

問う人「何ですか、それは」

知る人「君のご近所さんがそうだとすれば、この広く複雑な世の中の至るところで、同じようなことが起きているに違いない、ということだよ」

問う人「それはまあ、やる前からわかってるでしょう。うちの周りであったことは、他の地域でも起こり得る、というのは」

知る人「今の時点でのそれは、単なる思い込みに過ぎぬ。実感として理解するには、行動が必要なのだ。やってみた結果、ああ、うちの近所だけ良くしたってだめだな、こういうのを<焼け石に水>というのかな、などと思い、無力感・脱力感にとらわれるのではないかな。自分でそう思わぬかね」

問う人「思いますねえ、それは。いつだったかな、どこかの駅前で、空き缶を拾ったんですよ。誰のかわからないけど、すぐそばに空き缶入れがありましたから、そこに放り込んだんですね。でも、そこから数歩進むと、もう、歩道には空き缶やペットボトルだらけなんです。ああ、自分ひとりが正しいことをしたって、全然意味ないんだなあ、って」

知る人「そうだな。地球環境問題も、ウクライナやガザの戦争も、世界各地にある飢餓や病気も暴力も、すべて、ひとりの力ではどうしようもない難題ばかりだ。だが、そう感じてあきらめるか、ひとりをふたり、三人という具合に、仲間を増やしてゆこうとするか。ここが大きな分かれ道であろうな。さて、君はどちらの道を選ぶかね」

問う人「ううん、さっき言ったように、大上段にふりかぶるのは苦手なんですよね。今おっしゃったのは、どれも地球規模の大問題ばかりでしょう。自分はとてもそこまで考えられないです」

知る人「何事も一歩めが大切なのだ。話が長引いてしまったな、そろそろ結論を急ごう。君は、何かしたいかね、それとも、今のままでいいと思うかね」

問う人「何かしたいです、本音を言えば。でも、才能も実績もない自分ですから、たぶん何もできないんじゃないか、って言う気がして」

知る人「さっき君は、ただ在るだけの生き方がいいと言ったね。そして私は、自分を知っていることが条件だと述べた。この点で言えばだな、君がただ在るだけの人間になりたければ、ただそこにいるだけではだめなのだよ。わかるかね、まずは自分をどこか一定の方向に向けるのだ。今までの話で言うなら、ごみの出し方だな。そこからすべてを始めなさい」

問う人「何から始めたらいいんでしょうか。さっき自分がお話したようなことでいいんですか」

知る人「はじめはそうだ。だが、やっているうちに、君は少しずつその問題の核心に近づいてゆくであろう。途中で投げ出せなくなるのだな。第三者的に始めたことだが、いつのまにか君は当事者になっているのだよ。こうなればもう、後には引けぬ。職業ではなくとも、いずれそれが、君の生き方に深く関わってくるのだ。金になろうがなるまいが、そこは君自身の闘いの舞台なのだ。かつて公害Gメンと呼ばれた、故・田尻宗明氏は、新聞や雑誌記者に会うたびにこう声を掛けたそうだ。

君、闘ってるかね。

・・・どうだね、君も闘ってみないかな。小さな小さな、箱庭の中の闘いでもいいのだよ。世を見渡してみるがいい。社会とは、大中小さまざまな、闘いの塊の結合体だと思わぬかね。ただ在るだけの生き方を求める者は、この塊のどれかを手に取ってみねばならぬのだよ。少しでもいい世の中にしたい、でも自分ひとりの力なんて知れている。確かにそうだが、知れている力を実感してみたらどうなのだ、と私は言いたい。闘ってみないことには、自分の力などわかりはせぬ。意外にも、けっこう使える武器を持っている、という自分に気付くかもしれぬ。よいか、人間社会で生き切るためには、丸腰ではだめなのだ。武器を磨くのだよ。ああ、意外と自分にもできるんだ、と、遠からずわかる日が来るであろう。モノの売り買いなどせずともよい。そんなものは利にさとい連中に任せておきなさい。金にならずとも、とにかく闘うのだ。これからの日本は、闘いの塊の如き状態になるであろう。君もその渦中に踏み込むのだ。ぐずぐずするな、行け」

(了)

4383字

 

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