侮辱・差別・罵詈雑言。不適切表現の洪水に溺れないために。
【新潮社の差別的コラムが話題になっている。書いたのは、元・産経新聞の記者だ。訴訟に発展するようだが、果たして、こういった輩に反省を促すことができるのだろうか。空しい結果に終わらぬことを祈るばかりだ】
知る人「昨今のはやりと言えば不謹慎だが、これも外国人差別のひとつだね」
問う人「版元の新潮社も、筆者も、まったく反省していないように見えますが」
知る人「当然だろう。彼らが考え方を変えるなど、あり得ぬことだよ。筆者は高山正之という元産経新聞記者だが、この人物、さかのぼればかなりの暴言を今までに繰り返している。いわば筆禍常習犯だね。社の方針に逆らってでも、自説を通そうとしたこともある」
問う人「昭和18年生まれということですから、もう80歳超えてますね。良く言えば活力旺盛な方ですねえ」
知る人「そうだな。さっさと隠居して好々爺と化してしまう人々よりは、よほど頼もしい書き手と言えるであろうな。だがね、半世紀以上も筆禍を繰り返してきたというのは、要するにそれは筆がうっかりすべったのではなく、それこそが高山氏の基本形ということなのだ。延々書いて主張し続けてきた内容を、80の高齢になって改めるなど、どう考えても期待できぬ。ジャーナリズムの一貫性、という点でいうなら、信頼に足る姿勢と言えなくもないぐらいだ」
問う人「まあ、何か言われたらすぐ看板を書き換える連中よりはマシですかね」
知る人「インターネット時代が加速してゆくと、ネット上の暴言は日常茶飯事となり、いくら糾弾してもきりがなくなるであろう。現に今すでにそうなりかかっておる。有名人の失言といった類いなら撤回➡謝罪コースもあり得るだろうが、今回の如く、筆の力で生きてきた人物にそれを求めるのは、そうとう難易度が高いと覚悟せねばなるまい。考えが思想や信念にまで昇華された人は、それを自分の生命のよりどころにしているからね。銃で脅されても撤回はせぬはずだ」
問う人「要するに、どこまでも頑固ってことですね。では、その被害を受けた場合はどう対処すればいいのでしょうか」
知る人「このたびの件では、差別を受けた側も、自分の存在に関わる重大な出来事だからな、徹底的に闘わねばならぬ。だが、筆者も出版社も、心から反省し謝罪し、前言を撤回する…などということは絶対にない。なぜだかわかるかね。そのような差別的文章を、好んで読む人々、つまりは愛読者だね、こういった支持者たちがいる限り、そこには需要と供給の論理が働き続け、筆者も版元も、結局は安泰なのだよ。言論の自由などを持ち出さずとも、市場原理が味方し後押ししてくれるのだから、彼らの仕事がなくなることはない。これが結論だ」
問う人「では、あきらめるしかない、ってことでしょうか」
知る人「そうは言っておらぬ。しかるべき措置は必要なのだ。ただ、何をどうやっても、向こうが心を入れ替えるなどあり得ぬ、と言いたいだけだ。少々極端な例だがね、いつだったか、若い女性を何人も殺害してつかまった男がいた。彼は血の匂いが何より好きで、じきに誰かを殺したくなるのだそうな。このような狂人と筆禍常習犯たちとは、どこかでつながっていると私は思う。反省を促すより、強制的な裁きに導く方に全力を注ぐか、二度と侮蔑されぬように武装するか。ああ、銃や刃物を持てと言ってるのではないぞ。あの人を論ずれば、自分がひどい目に合う。こう思わせるぐらいに強くなるということだよ。戦意喪失するのが、相手か、それとも自分自身か。インターネットは四方八方に敵を産む。こんな時代を生き抜くには、知識理論武装こそ、もっとも正しく健全な生き方なのだ」
(了)
1491字

